十首選 2021年12月号 (2021年10月号掲載分より選歌)
選者 藤本勝義(Fワード)
・ ころころといつも笑っていた十五歳生きる辛さに思い至らず ひさの盈
・ 娘(こ)らの来て四方山話に花咲かせ独り居吾に安堵くれたり 中村正剛
・ 久びさに真っ赤な服を身にまとう 若がえったようで ちょっと嬉しい 田角美恵子
・ 老斑(しみ)多くしわめる右手さし出しぬ血圧測りくれる乙女に 内山嗣隆
・ 貧しさのただ中なりし昭和五十五年の戒名三文字 達筆の跡 岡田恵美子
・ 言いにくい事は言うまい老いたれば世話になることいつかあるから 武内栄子
・ 子等帰り布団の山を片付けて夫とふたりの静かな夕餉 高峰さつき
・ 二十年とふ時間は重たくて日に日に老いゆくわれ情けなし 山本圭子
・ 「こんとって着替えるから」と階下の声聞き取れず降りて妻と諍う 塩見俊郎
・ 不自由の常ともなれば不自由でなしこの森の四季を謳わん 松下孝裕
十首選 2021年11月号 (2021年9月号掲載分より選歌)
選者 石原智秋(六甲)
・ 夕せまる稲田を渡り大瑠璃の鳴く声がする良き一日な 上月昭弘
・ どれほどに歌作らんと挑んでも歌ができない私のうたが 田角美恵子
・ 義母の腕のあまたの針跡鎮痛剤と解熱剤とに生かされており 上田知子
・ 漱石は卯年の生まれあやかりて言葉出でこよ夏枯れの日々 浮田伸子
・ 散水のホースは不意に異議申すごとくに折れて流れの止まる 中山みよ子
・ 芝庭の隅より細きもぢずりが螺旋描きて夏空を指す 山本 圭子
・ 昭和十七年定價壹圓五拾銭 文明の『六月風』赤茶けてあり ひさの盈
・ 袖なしのシャツと短パン作りたり夜のひそかな筋トレ用に 吉田千代美
・ 天目も青磁も無縁の吾が暮らし大き薬缶に麦茶が踊る 岡田恵美子
・ ゆるき流れの溝の浅瀬にオニヤンマ尾を打ちつけて卵産みゆく 中嶋啓子
十首選 2021年10月号 (2021年8月号掲載分より選歌)
選者 下村千里(文学圏・青天)
・ いつもの友に暇もてあましかけてみる留守電なればぷっつりと切る 尾花栄子
・ 茶葉と水のその質と量、人情を味わう心に決まる茶の味 中山正剛
・ 目を閉じて振り返りみる戦争のすべてが今につながっている 中山みよ子
・ 老い深み長命のつらさ身にしむも思い直して体操しており 田隅佑吏子
・ わが命終わるときどんと音たててわが抱く死者ら本当に死す 青田綾子
・ 舳先あげすなどる船の出でゆけり青墨色の海に水脈ひき 宮脇経子
・ 梅雨晴れま真夏日つづきつじつまの合わぬ歌詠みゴーヤーは笑う 桃原佳子
・ 厚切りの新宿中村屋のカステラを食みて少しのしあわせ気分 塩見俊郎
・ 亡き母の残せる杖に身をあずけ今日も渡りぬ村の細橋 吉永久美子
・ 隣家の繋がれている柴犬の気持ちが分かる夕つ方なり 馬場久雄
十首選 2021年9月号 (2021年7月号掲載分より選歌)
選者 藤岡成子(コスモス)
・ 眼を細めさうかさうかと猫の頭を撫づる翁のまんまるき背 宮脇経子
・ 頬撫でて母の温もり慥かむる口きかずとも目を開けずとも 松下孝裕
・ 擦れちがいにヘッドホンから洩るる曲しばし体にリズムが残る 馬場久雄
・ しっかりと車椅子のブレーキを引きてローズマリーの枝を引き寄す 下村千里
・ 肝癌と診断を受け夫言いぬ延命治療は望みませんと 藤田勝代
・ 老いの家の軒にころがる酒びんの口が鳴るなり春の疾風に 青田綾子
・ 三世代こたつに団欒する今宵われの居場所のずれゆく気配 内山嗣隆
・ 暮れ泥む池に浮かべる上弦の月を揺らして鴨の鳴くなり 塩見俊郎
・ 朝早くEテレに映るさかなの絵すぐに消えてもそれは孫の絵 高山智枝
・ なげ座りの幼がお尻より音を吐きアリャーと言いてけらけら笑う 長尾たづ子
十首選 2021年8月号 (2021年6月号掲載分より選歌)
選者 飯田 進(コスモス)
・ 道路より眺める庭の奥ゆきを思いて薔薇の鉢を動かす 吉永久美子
・ うぐひすの声きこえくる昼のどか花見の客のひとりとなりぬ 山本圭子
・ おのづから芽吹けば虫の動き出し菊の幾つかうなだれてゐる 浮田伸子
・ 山峡の段々畑不揃いに緑の峠にふち取られおり 馬場久雄
・ じゃんけんに負けて末っ子口笛を聞こえよがしに皿洗いおり 山本君子
・ 心の乱れ治まり難く又開く相田みつをの『にんげんだもの』 中嶋啓子
・ アダムとイブを造りたまいし神の教えに背かないのか違憲判断 上月昭弘
・ 姉様の愚痴を聞きいてその愚痴に乗ればすぐさまふりおとされる 武内栄子
・ 咲きて知るみどりの山のあちこちに意外に多し山ざくら花 長尾たづ子
・ 百歳に近づく程に生きることが戦いなりとしかと思えり 田隅佑吏子
十首選 2021年7月号 (2021年5月号掲載分より選歌)
選者 馬場久雄(文学圏)
・ 芋虫のごとく寝床を這い出すは我にあらずや朝の鏡に 山本君子
・ 在りし日の母の字並ぶ母子手帳ここに汝の母が居るよと手渡す 岡田恵美子
・ つまずかず転ばないでと四十五キロを支える足に言いきかせおり 長尾 たづ子
・ さくら咲く季節も間近しわ深きこの手もて桜の花にふれたし 田角美恵子
・ この春も花見の席に母はなく忘れたふりの今日が暮れゆく 藤澤雅代
・ 北風を避けて山裾の道をゆく傘寿を過ぎてよりの散歩は 内山嗣隆
・ 忘れたりやり直したり繕うたり老いの一日それなり忙し 中村正剛
・ えごま油を取ってといえど誰もいぬ忘れぬために言ってみただけ 尾花栄子
・ 草むらに紛れてゆるる細き蔓をたぐれば白きえんどうの花 城谷早苗
・ 明日は明日、今日は今日よと喜ばむ日暮れのチャイム大きく鳴れり 大野八重子
十首選 2021年6月号 (2021年4月号掲載分より選歌)
選者 鈴木裕子(六甲)
・ 言の葉を折りたたんでも収まらぬ三十五文字の字余り短歌 馬場久雄
・ 工事ありて遠廻りすれば梅の花光にまぶし今日は立春 西村千代子
・ 型通り丸く焼かれし目玉焼うっぷん晴らせぬわれにも見えて 山本君子
・ 水溜りに映れる月をひとまたぎ腰の痛みの和らぐ今宵 内山嗣隆
・ うすれゆく視力の中にろうばいの花の黄の色かすかににじむ 田角美恵子
・ 冬の夕日はぼそりと沈み山頂の銀の鉄塔をもののけになす 長尾たづ子
・ 香港をロシアをミャンマーを思いつつ春浅き地に花の種まく 青田綾子
・ 閉ざされてひととせ過ぐる友の家売物件とふしばし歩を止む 宮脇経子
・ 水中の鯉の姿を捉えずにカメラは電柱の影を写せり 塩見俊郎
・ わが犬とわれとの年齢同じらし散歩のあゆみゆるゆるとして 吉永久美子
十首選 2021年5月号 (2021年3月号掲載分より選歌)
選者 尾花栄子(文学圏)
・ 退職の君の机にそと置きし水仙一輪今も香るや 青田綾子
・ 笹のごとなりたる荒草絡まりて機能失ふ草刈る機械 浮田伸子
・ 冷たからうと手袋を出せばいらぬといふ老いの心根水仙にほふ 宮脇経子
・ 老二人おせち料理を囲みいるも自粛の響く寒き正月 城谷早苗
・ 香煙のこもる堂より出でたれば深山の空気に樹の匂い満つ 馬場久雄
・ もの美味しく眠りは深く幸せと言ひっつ覚ゆ静かなるもの 大野八重子
・ 神棚の梅の二輪がぽっと笑む善き年となれ鎮まれコロナ 岡田恵美子
・ 侘助の落つる幽(かそけ)き音を聴く日ごと減りゆく庭の花数 藤澤雅代
・ 何待つというにあらねど昼過ぎて郵便受けに音せぬはさみし 内山嗣隆
・ 朝採りのなずなはこべらすずしろを大雑把に作る七草の粥 桃原佳子
十首選 2021年4月号 (2021年2月号掲載分より選歌)
選者 黒崎由起子(旅笛)
・ 家籠りの日々を生きぬき歳末に仰ぐ三つ星ことさら清し 大西迪子
・ 目を閉じて日向ぼこせる媼あり辻の地蔵のまなざしやさし 内山嗣隆
・ 廃屋を被いつくせるつた紅葉あしたの風にしきり散りゆく 岡田恵美子
・ わが命を支えてくれる右の手を静かになでる今朝のひととき 田角美恵子
・ クラスター発生に怯ゆる小さき町氷雨に滲む庁舎のあかり 青田綾子
・ 向かうより傘もささずに来る人は隣家の若者悠悠として 宮脇経子
・ 朝の日をあびて動かぬ公園の小鳥と犬とベンチの私 吉永久美子
・ 特急の通過待ちする扉より枯葉一枚乗客となる 馬場久雄
・ めぐりくる季節のたびに咲きくるる石蕗の花今が満開 岡本みね子
・ 色づける柚ひとつ見ゆ行く秋の一日一日に色を重ねて 高峰さつき
十首選 2021年3月号 (2021年1月号掲載分より選歌)
選者 山田 文(ポトナム)
・ 竿になり鉤になりして飛ぶ鳥をねんねこの子と仰ぎし夕べ 下村千里
・ 自転車のサドルを少し高くして海を見にゆく半時ばかり 山本君子
・ 田を挟み耳の遠きが声かわし互みに手をあげ別れゆきたり 上月昭弘
・ もう一度頑張りましょうと自らにいいてぼつぼつ歌よみはじむ 田角美恵子
・ 川土手の芒日ごとに色を変へ今日の日ざしに絮の飛び立つ 橋本和佳子
・ 朝焼けの清しき風の中をゆくつとめへの道スピードあげて 高峰さつき
・ 月見草、川原、竹藪わが胸の奥処にしまう遠き日の景 岡田恵美子
・ 土間に落つる螺子の一つにわが家の緩むところを案じていたり 内山嗣隆
・ 還暦を過ぎて十年われは今二度目の十歳わんぱくざかり 吉田千代美
・ あるときは子に労られさとされて老いの溜息ひそかにつきぬ 宮脇経子
十首選 2021年2月号 (2020年12月号掲載分より選歌)
選者 平瀬紀子(運河)
・ 地下へ降り天井桟敷の暗がりに修司とひとこと交わせし若き日 塩見 俊郎
・ 毬栗の日毎膨らむ老木に我が晩学の伸び代を問う 松下孝裕
・ 花終えし萩の大株根もとより切りつめており汗をかきつつ 吉永久美子
・ かの秋の信濃路の旅よみがえる古布に縫われし柿を吊るせば 山本君子
・ 柔らかい窓の灯温し剪定を終えたる庭に新月の闇 尾花栄子
・ 齢老いてあら草引くもままならず引いても引いてもまた生えてくる 馬場久雄
・ 秋の水桶に満たして砥いでいる父子(おやこ)二代が使いし鉈を 内山嗣隆
・ 夫の為に付けし浴室のこの手摺今われの身が助けられおり 中山みよ子
・ 医師の手のぬくみにふれて今しばし生きる望みが身の内にわく 田角美恵子
・ 九人の子を産み育てたる母つよし唯一人として欠けることなく 上月昭弘
十首選 2021年1月号 (2020年11月号掲載分より選歌)
選者 藤田勝代(文学圏)
・ 八人がどっと来たりて仏間にて声を揃えて経をとなえる 長尾たづ子
・ いつの時も揺れる心がびっしりと綴られていし五通を筐底に秘む 青田綾子
・ 失いし記憶の狭間に押し入りて探れど何も出てこぬ晚夏 藤澤雅代
・ 白熊になりたるかなや眠るとき氷嚢三つもてあそぶ夏 浮田伸子
・ うなじより滴り落ちる汗滲み釦ふたつを開けて乾かす 吉永久美子
・ 寄り道やまわり道には味がある歩けば秋の稲穂の稔り 塩見俊郎
・ 今からでもしっかり生きてみようかと脚欠くる蝉をじっと見つめる 上田知子
・ ドローンに撮影したる草原に蟻地獄のごと爆庫広がる 下村千里
・ 干し竿に列なしている雨の粒一つひとつが朝の陽宿す 馬場久雄
・ 臥りゐる吾より躰まがりるゐてあの子は雨中に草引きてゐる 大野八重子